CODE第2版を読みました。

CODEを読みました。
有名な本ということでご存知の方も多いのでしょうけど、ぼくはきちんと読んだのは最近なのです。
しかし、面白いですね。
ローレンス・レッシグの本は何冊か読みましたが、どれもとても考えさせられる内容です。

サイバー空間

本書では、セカンドライフやMMORPGのような仮想空間やWebサービスなどのことを総じてサイバー空間と表現しています。
少し古い本ですので、(内容は色褪せませんが)ぼくは、例えばFacebookやTwitterに置き換えたり、単純にアプリという文脈に置き換えて読んでいました。
(セカンドライフは低迷というか、日本で流行ってないだけとも言えるのかな?前ほどは人気がなさそうです。)

アーキテクチャという言葉も頻繁に登場するのですが、アーキテクチャとはその世界や物事が成り立つ要素であり、いわゆる設計、構造という表現ができます。
そのアーキテクチャが有効な範囲においての根本的な制限や事実のようなことだと理解しています。

そのアーキテクチャがコードで成り立っている世界がサイバー空間なのだということをサイバー空間内の出来事に照らし合わせて、明確にしていきます。

現実の世界では、アーキテクチャを変更するのは相当に難しく自然がその根拠になっているものもたくさんあります。

しかし、サイバー空間ではアーキテクチャは生まれた瞬間からコードが支配している人工的な設計である場合が多いです。

コードによって作られた人工的な本質

例えばインターネットというものは規制できない、自由な空間であると考えている方も多いとおもいます。
統治できない。規制できない。
そういったことがインターネットの性質、本質だと思い込んでいるのではないでしょうか。

でもそうではなく人類が初めて手にした完璧にコントロールな空間であると筆者は考えます。
筆者の他の本でも繰り返し強調されることは、インターネットは設計され人工的にそういう性質になっているだけで、変えようと思えば変えられるということを理解する必要があるということです。

そしてコントロールするように変化していくことは難しくないし、コントロールが正しければいのだとしています。
でも正しくコントロールできるとは限らない。そして間違ったコントロールをする可能性が大いにある。という文脈に沿った内容でコントロールのどの部分が間違っているのかということを本書を通して明らかにしていきます。

規制を管理する

サイバー空間はそれぞれの企業や団体が完璧に管理するクローズドな法、つまりコード(本書では西海岸のコード)を通して管理されている世界です。
実際の世界では東海岸のコードつまり、法律を通して管理してきた秩序と憲法に由来するような価値観を保ってきました。

しかし、本来サイバー空間であっても保たれるべきその価値観はコードによる行き過ぎた管理によって失われるのではないかと本書では警鐘をならしています。

とくに法、市場、規範、アーキテクチャの4つの要素から規制・コントロールというものが実現されているのですが、法の中に西海岸のコードが加わるによってバランスが大きく変わってしまうことの危険性を本書では指摘しています。

そこで著作権についても触れており、筆者はコントロールしすぎている。と主張しています。

さいごに

本書の第1版がかかれたのは、今から十数年も前でそれから7年後にかかれたこの第2版を読みました。でも内容が古いなんてことはなく、今になって読んでよかったと感じています。

iPhoneやスマートフォンなどのモバイルデバイスの普及によりそこで使われるアプリによって生まれたWebを介さないサイバー空間にアクセスすることが増えました。アプリはそれぞれ独自の世界観、ルールがありますし、コードによって制御された世界だと言えます。
ぼくたちは、これからもそういった世界に触れることが多くなっていくはずです。

そういったとき、この本は冷静に周りを見渡すための良いヒントを与えてくれるはずです。

「PCの死」と「平等なウェブ世界の終焉」 « WIRED.jp

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