コモンズを読みました。

こんにちは、JAGA(ja_gaimopotato)です。
コモンズを読みました。
ローレンス・レッシグの本です。
コモンズとして適正のあるのリソースが、自由であることでどういったぼくたちにどういったメリットを与えるのか。
インターネットというとてつもない成功事例から、それを論じます。

インターネットがこれほどまでにイノベーションを起こしたのは、何が起こるかわからない自由な場所を作ることができたからだと様々な角度からそれを証明していきます。
インターネットはイノベーションのコモンズであったということを分かりやすく伝えてくれます。

コモンズはその関連コミュニティ内部の人がだれでも、だれの許可を得なくても権利をもっているようなリソースだ。ある場合には許可は必要だが、中立的な形で提供される。

もしリソースが非競合的なら、問題はそれを生産するに足るだけのインセンティブがあるかということで、消費する需要が多すぎるかどうかではない。非競合的なリソースは使い果たすことができない。

もしリソースが競合的なら、それを創るのに十分なインセンティブがあるかと同時に消費で他の人にも十分なだけ残るかという問題も心配する必要が出てくる。

コントロールを強化し、著作権などで創作物を財産化することによって得られる利益を追い求めることは、その著作権の保持者以外にはメリットがないと断言し、早めにコモンズという公共のリソースとして還元するようにするべきであると著者は論じます。

特にこのデジタル時代においては、中心的な問題はリソースのコントロールをするのが政府か市場かということではなく、そのリソースがそもそもコントロールを受けるべきか、ということになる。
われわれは、創造性とイノベーションと成長は、財産と市場がもっとも強力に機能するところでしか起きないと思い込んでいる。

まだ行われていない発明を代表するのはだれだ?かれらのためにプラットフォームをオープンにしておけと要求するのはだれだ?利害の一部は、既得権益との交渉をするだけのお金がない。一部の利害は、まだ存在すらしていない。

程よい創造のインセンティブがあれば十分で、それ以上は創造することのコストをあげるだけなのだということです。

知的財産は、創造プロセスの入力でもあり出力でもある。だから知的財産の「コスト」を上げるのは、生産のコストと生産のインセンティブを両方増やす。どっちがどっちを上回るかは、事前にはわからない。

その、程よい創造のインセンティブと創造することのコストのバランスは、法での規制で実現するべきだと本書には書かれています。

イノベーションは、何か元になる別のイノベーションだったものがあるのが常で、それを踏まえた仕組みを考えないと、インターネットのような爆発的なイノベーションが続くことはないのでしょう。

今日のあらゆるもの、おそらく人間が火を沈めて以来のあらゆるものは、どれ一つとしてまったく新しいわけではない。文化は、科学技術のように、累積によって成長し、それぞれの創造者は、それ以前の人々の成果の上に築きあげる。保護のしすぎは、それが育成するはずの創造力そのものの首を絞めてしまう。

さいごに

減ってしまうものが、誰にでも消費できるのであれば使い果たすことを心配しなければならないし
、減らないものの場合は、それを生み出す十分なメリットがあればいいという考え方は良くわかります。
何かを元にして、新しい何かを生み出すことが普通の世界で、元になる何かの価値をあげすぎることもコントロールしすぎることが正しいのかどうか。

実際この本を読んで、それらを当たり前のこととして受け入れている自分がいながら、疑問を持っている自分がいる。そんな状態です。

この辺りの物事の捉え方について、自分の立ち位置をもう少しハッキリ意識できるように、引き続き本などから学び知識を強化したいと思います。
とりあえず、FreeCultureとRemixも読もう。

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